<プロフィール>
ディバインアクセラレーション®創始者
杉浦優司
<略歴>
1971年愛知県生まれ、現在名古屋市中区在住。 豊橋技術科学大学 大学院修了 豊橋市内の某メーカーにて製品の設計・開発に12年携わる。36歳の時、自分の本当の人生を生きるヴィジョンが現れ、会社を辞して20ヶ月間世界を旅してまわる。帰国後、魂の案内人として、本当の自分を知る手法やヒーリングの手法を教え始める。本物にこだわり、本物をお伝えし続けている。
<主な資格・公認>
ディバインアクセラレーション®創始者
<マイストーリー>
2006年5月15日、その日は私にとって、35回目の誕生日でした。誕生日と言っても、社会人になってからは特に何があるわけでも無く、いつもの忙しい日常の代わり映えの無い一日くらいに思っていました。
でも、何故かその日はそれまでの平凡な日々とは異なり、今までよりも少し遠くを見つめながら新しい道を探して始めている自分を感じていました。そして
「大きな夢をつかむ為には、今持っている何かを手ばなす必要があるかもしれない。」
そんな言葉が降りて来ていました。
それまでの私は、工学系の大学院を卒業し、その地域では名の通っていた中小企業の一つに就職し、エンジニアとして10年ほど勤めていました。仕事は順調で、よき上司にも恵まれ、大変だけれどやりがいのあるプロジェクトを任されていました。それでも、次の10年後の自分の姿を思い浮かべた時、その会社に自分の姿を見出す事が難しくなっていました。
「もっと大きな夢をつかむ為に、今手放すべきものは何なのだろうか?」
それが何であるかは良く分かりませんでしたが、その日は
「もう少し心の叫びに耳を傾けよう。そして、未来に向かって助走を始めよう。」
そう感じながら眠りにつきました。
2007年に入ると、少しずつ自分の内側から変化の衝動が湧き上がり始めるようになっていました。思い返してみると、幼少のころから36歳になると自分の本質に目覚めて行く…。何故かそんな予感がしていましたが、36歳を迎えた約一か月後、そんな内からの衝動に導かれるように、アメリカ人のとあるサイキックヒーラーさんの個人セッションに申し込んでいました。
そのセッションでは、ハイヤーセルフを通じて、私自身、自分が思っている以上にサイキックであること(直観に優れていること)、既にたくさんのパワフルな光の存在達のサポートを受けている事、この世界の霊的成長のサポートのために敢えて選んでここに生まれてきている事、これ以上ないくらいワクワクの人生が待っている事等々、ほんの1時間の間に沢山の情報を教えて頂く事ができました。正直、当時それらの大半はまだ半信半疑でしたが、何だか凄いな~と、他人事のように感じていたことを思い出します。
そんなセッションの最後の方に、それまでずっと心の奥の方でもやもやしていた、「いつか会社を離れて、新しい何かを始めるつもりだけれど、いつが最善なタイミングなのか?」について質問してみました。私自身としては、その答えは10年後位のイメージでしたが、伝えられたのは、
「18ヶ月後が良いわね。」
でした。「え、18ヶ月後、たった1年半後!?」
実際、セッションの18ヶ月後に会社を離れる事になるとは夢にも思っていなかったので、正直戸惑っていました。「さて、18ヶ月後に何をしようか?」その時、ふと思い浮かんだのが旅でした。「あの~、18ヶ月後に旅に出たいなとも思っているのですが、どうでしょうか?」そう尋ねてみると、
「旅はとてもいいわ、行きたいところはあるの?」
「昔から、中・南米に行ってみたいと感じているのですが。」
「いいわね。あなたと中・南米はとても相性がいいのよ。」
その時初めて、“真に望んでいた人生”の入口が思いがけないところにある事に気がつきました。「果たして、本当にその入り口を通り抜ける事ができるのだろうか?」その時の私にとって、それはまだ遠く、そして現実離れしているように感じられていました。
それからしばらくして、何故かふいに世界7大聖山の一つと言われているシャスタ山を訪れたくなりました。調べてみると、とてもパワフルで神秘的な山のようでした。「ここに行けば、何かが分かるかも。」そんな直観に導かれ行動を開始すると、1週間後には、旅の全ての日程が決まっていました。
お盆休みを利用して訪れたシャスタは素晴らしく居心地の良い場所でした。当時はまだ瞑想の仕方もリーディングの仕方も心得ていなかったので、行く先々でただただ「ぼ~」としていました。時間はまるで止まったようになり、世界でただ一人取り残されたようでもありました。「それにしても何故、こんなにも勢いがなくなってしまったのだろうか?」そう自問自答してみると、何となく「今、(車のギアチェンジのように)シフトアップした直後だからだよ。安心して、今後加速して行くから。」そんな声を感じました。
そんな変化の感じられない日々を過ごす中で、一度だけ不思議な事がありました。それは、何故か一晩だけはシャスタ山で過ごしたいと思い、車で行ける一番高いところで一泊した時の事でした。真夜中、夢の中で、ふいに意識が体を抜け出し、空へと上って行くのが分かりました。夢ではありましたが、車の感覚、そしてそれを見降ろし、はるか遠くを見ている感覚、全てが鮮明に記憶されていました。そして、その夜を境に、止まっていた時が再び動き始めました。
2008年2月、人生を変える旅立ちまで残り約10ヶ月を切っていましたが、まだ自分の中では明確に次への進路を描けずにいました。それでも、何故か自然とスピリチュアルなセミナーに惹かれ、直観に従いながら、とある千里眼のセミナーに出席しました。そのセミナーそのものは何ら特に得るものはありませんでしたが、そこで出会ったのが、Hさんでした。
150名ほどの参加者がいる中で、3回だけペアワークがあり、その3回の内の一回をご一緒させて頂いた縁で、セミナー終了後、Hさんと、Hさんの友達の3人でお茶をする機会に恵まれました。当時Hさんはまだサラリーマンで、スピリチュアルな活動を起こす前でしたが、そこで初めて聞くヒーリングの世界やマカバ瞑想(フラワーオブライフ)についての話を伺う事ができました。正直、その時は目の前に突然示された叡智に対しただ戸惑うばかりでした。それでも、何となく面白そうだと感じ、何となく、これらを学ぶ必要がある気がしていました。でも今思い返してみると、この瞬間、人生をステキに変容させる力を与えてくれるヒーリングとマカバが同時に向こうから現れ、魂の人生計画に沿った”生まれてくる前から決めて来ていた人生のミッション”がスタートしていました。
そんな縁のおかげで、2008年8月に(17回の呼吸法による)マカバ瞑想をフラワーオブライフのファシリテーターの一人から習得する事ができました。続いて9月の頭からHさんから初めてヒーリングのやり方を受講し始めました。そして、このセミナーの2日目に、「あ、これで会社を辞める事ができる!」と直感しました。それは、その時学んだ主要テクニックの一つである思い込みの働きかけを通じて、それまで私自身が持ち続けてきた「会社を辞めることは不可能です。」を「可能です。」に変えられると感じたからです。そして、本当に自分が生まれる前から望んできた人生を生きよう!と決意しました。
この時、ヒーリングを取得するために4週連続で東京に通い受講していました。そして、それまでまるで12Fのビルから飛び降りるくらいのストレスがあった、会社を辞めて旅に出る事の恐れが、少しずつやわらぎ始め、いよいよ上司に会社を辞める旨を告げる時には、少々衝撃はあるものの怪我をせずに飛び降りられるくらいまでになっていました。
そして、運命の日、上司に思い切って告げてみると、実に堂々と、そして感謝に満ちている自分がそこに居ました。実のところ、数か月前までは「会社を辞めるなら喧嘩別れするしかないかな~。」とも感じていましたが、マカバを学び心穏やかになり、ヒーリングを学び不可能が可能になったおかげで、自分でも驚くくらいスムーズに事が進んでいました。
上司に告げた数日後、実家に戻り、両親に会社を辞めて20ヶ月の旅に出る事を告げました。旅に出る事を決意し始めたくらいから、どのくらいの期間旅するか思案していましたが、何故か直観は20ヶ月と告げていました。そして、それ以上でもそれ以下でもない感じがしていました。
両親に告げると、案の定反対されました。確かに常識的に考えれば、中小企業とは言え安定したエンジニアの職を捨て、どうなるか分からない旅に20ヶ月も出る事は直ぐには受け入れがたかった気がします。でも、私自身、新たな道を選択する事にもう迷いはありませんでした。何が何でもこの真に望む人生を生きる決意をしていました。そこで、ヒーリングで学んだ願望実現の瞑想を全身全霊で行いました。するとその時、線路のポイントが観え、36年間走り続けていたレールから、ワクワクと喜びに満ちた真に望む人生のレールへと、ポイントが「カチ」と切り替わったのが感じられました。
するとその瞬間、内線が鳴り、両親がもう一度話を聞いてくれる事になりました。そして、先ほどとはうって変わって、穏やかにO.K.をもらうことが出来ました。実際のところ、たとえO.K.がもらえなくても出発する覚悟でしたが、やはり受け入れてもらえて嬉しかったです。
それからは、本当にあっという間でした。会社のプロジェクトの最後のまとめ&引き継ぎ、旅の準備、仲間への連絡、身の回り品の処分等々、慌ただしさの中、全てが完了したのが出発の前日、そして、11月28日、18ヶ月前にハイヤーセルフに告げられた通り日本を後にしました。
旅はグアテマラのアンティグアから始まり、中米3ヵ国、南米10ヵ国を巡り、最後にギリシャとエジプトに寄って日本へと帰国しました。思い出に残る地は数えきれないほどありますが、その中でも特に印象に残っているが、ベネズエラにあるテーブルマウンテンの一つであるロライマ山(標高2,810m)を訪れた時の事です。そこに行くために、まずはブラジルとの国境の街サンタ・エレナを訪れました。そして現地で情報を集め、5泊6日の道中のほとんどが歩きという(この旅における)一二を争う過酷だけどエキサイティングなガイド付きツアーに参加しました。
真夜中、静寂に包まれた山頂にて、いつものようにマカバ瞑想をしていた時の事でした。山頂を訪れた日、日本を離れて早16ヶ月が過ぎ去っていました。一緒にツアーに参加されていた仲間たちはそれぞれ別のテントで就寝していて、自分が発する音以外人工的な音は一切聞こえて来ませんでした。そんな中、ふとした瞬間、見渡す限り平らな山頂全体からエネルギーが宇宙へ放射され、また宇宙からも山頂全体にエネルギーが放射されている事に気がつきました。そしてそう気づくと同時に、2つの無尽蔵とも言えるエネルギーに包まれ・抱かれながら、自分自身が大地と宇宙と一つに溶け合い、全てのものと一つになっていました。「ああ、この感覚、この感覚を思い出すために、ここまでやって来たんだ!」その瞬間、それまでのまだ見ぬ何かを探し求める旅が完了した事を知りました。同時に、これからは日本に戻っていく旅であることが分かりました。そして、この旅での経験をベースにサイキックセラピストとしての活動を開始する事を決意していました。
こうして、当初の予定通りきっちり20ヶ月で日本に戻ると、導かれるようにセッションを希望される方が現れ、ほどなくしてセミナーを希望される方が現れました。正直、当初はヒーリングのセミナーを開催するつもりはありませんでした。それは日本に帰国した2010年7月28日時点で、既に多くのインストラクターが活動されていたからです。でも、しばらくして、学んではみたものの良く分からず使えない…という方があまりに多い事に気がつきました。そんな状況を踏まえ、「それなら、しっかりと使えるヒーリングの真髄が学べる場があってもいいんじゃないかな。」と思いインストラクターとしても活動を開始しました。
そう決意すると、自然と名古屋のとても便利で居心地の良いサロンが目の前に現れ、2011年1月から実家がある愛知県の田舎から名古屋に拠点を移し、活動を本格化させました。
こうして始まった、名古屋でのサロンで最初に開催した”豊かさと願いの実現に関連した講座”において、(自分の使命を果たす上で、)何故かヨルダンにあるペトラ遺跡に行くと良いというメッセージを受け取りました。ペトラ遺跡は20ヶ月の旅の最後に訪れようかと思いつつ、日程的に慌ただしくなり過ぎるという理由で行きそびれていた場所でした。「そこまで天が勧めるなら行ってみよう!」そう決意して、その4か月後の5月に思い切って訪れてみました。そこで思い出されたのは、遥か昔の神聖なる記憶でした。そしてその古い記憶は隣国イスラエルの古都、エルサレムへと誘っていました。
訪れたエルサレムは何故かとても懐かしさの感じられる居心地の良い街でした。そのエルサレムにてどうしても訪れたかったのがイエス・キリストのお墓でした。それは、20ヶ月の旅の間ずっとその存在の加護を感じていたからでした。そして、その墓の前でひざまづきながら意識をイエスに向けると、イエスはただ普く人々に愛を説いていただけで、キリスト教を作ろうとしていたわけでは無かった事が伝わってきました。
その2日後、朝目覚めると同時に、「あれ、何年ここにいるのだろう?」という感覚に襲われました。この地のエネルギーに触れたことで、意識が過去と繋がり、世界のあり方がすっかり変わっていました。同時に、縁ある方々の意識を目覚めさせ、それぞれに生まれる前から決めてきている使命に沿った生き方ができるようになる活動を目一杯したくなっていました。「それなら、今縁あって学んでいるヒーリングメソッドについて、可能な限り全てのプログラムを開催できるようになりたいな。そして、オリジナル講座も10以上は開催できるようになりたいな」と、その場で決意をしていました。
そんな衝動に突き動かされ行動を開始し、2012年年末までには、ヒーリング講師としてやりがいをもって本格的に活動を開始しました。
最初は夢中で活動していましたがだんだんとジレンマが生まれてきました。それは、従来のヒーリングの限界でした。
一般的にヒーリングはお相手の心の苦しみを和らげたり、潜在意識レベルからお相手の後押しをしたりするのに有効と言われています。
テクニック的に見てみると、これまでのヒーリングはエネルギーワークと呼ばれる、目には見えないエネルギーをお相手に流していくのが主流です。
実際のところ、お相手の課題がシンプルな場合は有効ですが、潜在意識内にネガティブな感情・感覚・感じ・様子を伴った記憶が未解決のまま残っていたり、カルマ的な課題のように様々な想いが複雑に絡み合った状態で潜在意識に残っていたりすると、エネルギーを流すだけでは明確な変化が起きないのが実情です。
エネルギーを流すだけでは明確な変化が起きない場合、その原因は潜在意識の状態にあります。そこで、このような潜在意識の状況を改善するために、掘り下げ(原因追求)を取り入れたヒーリングメソッドもあります。
私が学んだのもこの、掘り下げ(原因追求)を取り入れたヒーリングメソッドでした。
掘り下げはピンポイントで活用するには効果的ですが、掘り下げがメインになっていると、どうしても展開が複雑になりやすく、習得するのが非常に難しいので、効果的に活用できる方が少ないというのが実情です。
そのため、掘り下げ(原因追求)をメインにしたメソッドでは、効果的に掘り下げる事ができず、根掘り葉掘り聞いてしまうことで、お相手の精神的負担を増やしてしまったり(新たなトラウマや制限を作り出してしまったり)、スピリチュアル独特の怪しさが伴う割に、お相手に実感を伴う変化を起こす事ができないまま、セッションが終わってしまう事も多いのが実情です。
実際のところ、従来のヒーリングメソッドでも、実感を伴う確実な変化が起きるようなやり方をギリギリまで探求しました。
そして、気づいたのは従来のヒーリング手法の限界でした。
そんな中悩みながら出した結論は、
「これまで無いのであれば、新たに作れば良い!」
でした。
そして、誰もが最速かつ安心安全確実に心の制限(心のブロック)を解放できるように開発したのが、”ディバインアクセラレーション®”と名付けられたメソッドです。
ディバインアクセラレーション®の最初の講座がスタートしたのは、2015年12月でした。そして、2017年の7月からは認定制度がスタートし、同年もっと広げていくようにという宇宙のメッセージを感じ、東京にもサロンを立ち上げました。
最初は私の”ディバインアクセラレーション®”でしたが、次第に私たちの”ディバインアクセラレーション®”となり、実際に仕事としてセッションをされたり、教えたりされている方たちからのフィードバックを受け、さらに進化を続け、2019年、認定制度が大幅に改定されました。
2023年、カリキュラムがそれぞれの人生の目的に合わせて選択しやすいように再構築されました。
これにより、従来のカウンセリングや、コーチングや、ヒーリングやサイキックなリーディングが最善に統合・昇華された新しい選択肢が生み出され、日常のストレスの解消からカルマ的課題や魂の課題まで、全て最速かつ安心安全確実に解消し、魂が求める方向に加速度的に進んで行く事ができるようになりました。
そして、2023年の5月にて、6年ほど過ごした東京・恵比寿サロンを閉店し、実家のある愛知県幸田町に戻る事にしました。
今後は、オンライン(Zoom)での対応を希望される場合は、お1人からでも、全国ならびに世界中の皆さんと繋がって行きたいと思います。
また、幸田町の自宅サロンにお越し頂けるのであれば、同じくお1人からでも、対面にて全講座&セッション対応させて頂きたいと思います。
さらに、今後はただ自宅サロンで待つのではなく、お友達やお仲間を集めてお呼び頂けたら、全国ならびに世界へ出張していきたいと思います。
いよいよ、個々の生き方を一人ひとりが決めていく時代がやってきました。でも、残念ながら多くの方々はカルマ的課題や魂の課題によって、身動きが取れないまま時間だけが過ぎていく状態に陥っているようです。
そんな中、この進化した”ディバインアクセラレーション®”が皆さんの人生の滞りを解消していきます。
まだ体験されたことが無い方は、ぜひ体験してみてくださいね。
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